HOME > 読書会内容・感想 > 2018年:内容と感想 > 【 2018年4月読書会①:内容と感想 】

【 2018年4月読書会①:内容と感想 】

 4月の定例読書会です。今回は『シルバーバーチの教え』上巻の8章『地上の宗教の間違い』から学びました。

宗教の本質は他者への愛の現れであって、愛が奉仕を始めとした様々な形で表現されたものだということ、キリスト教を含めた既成宗教は間違った教義をこしらえ宗教の正道から外れてしまったことを改めて認識することが出来ました。

以下、抜粋と感想です。




『 抜粋 』
私たちもあなた方も、等しく大霊の僕です。ただ私たちは進化の道程において、あなた方よりも少し だけ先を歩んでいます。そこで私たちは、あなた方に奉仕するために地上世界に戻ってきました。奉仕(サービス)こそ大霊の摂理だからです。奉仕精神のないところには荒廃が生まれます。奉仕精神のあるところには平和と幸せが生まれます。地上世界は「互いに奉仕し合う」という新しい生活形態を築かなければなりません。それは本当は至って簡単なことなのですが、なぜか現実には、とても難しいことになっています。  126ページ後ろから2行~127ページ5行

『 感想 』
日常の中で奉仕の心を持つことはとても大切なことだと理解しています。しかし、現実の世界では目の前の事や、自身の未熟な感情に振り回されることも少なくありません。奉仕精神の大切さを真の意味で理解しても、その心を持ち続けることが出来ない事を考えると、真理を知らない他の人の未熟さを責めることなどとても出来ないと思いました。こうして霊的真理に立ち返ることが出来る事は本当に有難いことだと改めて思います。

『 抜粋 』
そもそも土台が間違っているのです。彼らは、イエスを作り話で塗り固めてきました。そうすることでイエスを神と同じ位に祭り上げたのですが、その根拠には何の正当性もないため、徐々にそれを撤回せざるをえなくなっています。ところが撤回しようとすると、彼らの心に恐怖が湧いてくるのです。「それを失ってしまったら、あとには何も残らない」との危惧を抱くのです。キリスト教が真実を土台としていたなら、すなわち自然の摂理の上に築き上げられた宗教であったなら、撤回しなければならないものは何ひとつなかったはずなのです。  127ページ11行~128ページ1行

『 感想 』
イエスは他の人と同じように自然な形で受胎し、地上に生を受けた一人の人間でしたが、とてもとても高い霊性(人間性)と霊的能力を備えていました。シルバーバーチはイエスを手の届かない存在に祭り上げるのではなくて人間の生きる見本とするように述べています。
幼少時~高校くらいまで自ら教会に通い、疑問を感じて自ら教会を離れた知り合いがいます。この方は今はシルバーバーチの述べる霊的真理を信じていますが、聖書にはイエスの述べたとされるたとえ話が多く書かれているから、その中でイエスが述べたと自身が感じ学びになると思うものを参考にするのも良いとアドバイスを受けました。事実として聖書は多くの間違いや改ざんなどがあり、真実と間違い嘘が混ざった書物だと思いますが、聖書の中からイエスの述べたとされる喩えを読んで学んでみようと思いました。


『 抜粋 』
地上界では指導者たちが重んじられてきました。そして過大評価され、〝神学〟という厄介なものをつくり出すことになりました。その神学が、科学者や思想家、そして精神だけは自由でありたい、理性が反発するものは受け入れたくないと思っている真っ正直な人々を困惑させることになりました。
そこで私たちは大霊の摂理を強調するのです。摂理に対する正しい理解こそが、すべての知識を調和させるからです。摂理は、科学者や哲学者や自由思想家、その他いかなる分野の人々にも反発を覚えさせることはありません。それは永遠にして不変の大霊の働きを土台としているからです。  128ページ11行~129ページ2行

『 抜粋 』
信条・ドグマ・教義・儀式・祭礼・ステンドグラス・祭壇・法冠・外衣――こうしたものがいったい宗教と何の関係があると言うのでしょうか。宗教は霊と一体関係にあります。霊はすべての創造物に宿り、生命のあらゆるリズムと生命現象の中で自らを現し、大自然のあらゆる側面に顕現し、人類の進歩のために寄与している理想主義者や改革者を鼓舞しています。その霊が一つの教義と何の関わりがあると言うのでしょうか。  130ページ13行~131ページ1行

『 感想 』
宗教の本質は心・魂を成長させること並びに成長させるものですが、神学・信条・ドグマ・教義・儀式・祭礼・ステンドグラス・祭壇・法冠・外衣などの既成宗教に関わるものは何一つ霊的成長にプラスになるものはありません。全て必要のないものだ考えます。また、お金・食べ物・住居・衣服などの物は過剰に求めるのではなく、地上人生を霊的成長と奉仕へと向け、実りある人生を過ごすために活用する事でその存在価値を発揮する有難い物だと思います。そうすると先に挙げた既成宗教に関わる物や儀式はお金・食べ物・住居・衣服などよりも価値が低く、人間の心・魂が成長しようとする足を引っ張るものだと思います。


『 抜粋 』
――聞くところによると、洗礼を受けることによって死後、その宗派の霊の一団が迎えてくれ、新しい環境を整えてくれるということです。もしそうだとすると、洗礼を受けていない者はどうなるのでしょうか。
この大宇宙を動かし、物的身体に生命の息吹を吹き込んだのは大霊です。すべての世界と宇宙を支配する全法則を創造し、ありとあらゆる次元の生命として顕現しているのも大霊です。太古から予言者や霊能者を通して顕現し、すべてのものの内部と背後に存在するのが大霊なのです。その大霊が、一人の人間に水滴が垂らされているか否かでお困りになるようなことはありません。大切なことは、自分自身の最高の理想に従って地上生活を送ったかどうかです。赤子に二、三滴の水を垂らしたからといって、それで摂理が変えられるわけではありません。摂理は絶対に変えられません。原因には必ずそれ相当の結果がともなうのです。  134ページ11行~135ページ10行

『 感想 』
洗礼を受けることで死後の幸せが保証される。イエスキリストを信じることで全ての罪が赦される。これらの事を理性的に考えると私はどうしても信じることは出来ません。
その反対にシルバーバーチは地上人生から死後の世界にまで関わり、厳然として存在する因果律を説きます。過ちや罪は必ずやり直したり償いをしなければならないこと、それは地上人生だけで判断できるのではなく、死後の霊界での反省から来世でのやり直しや償いまでに至る完璧な因果律の法則があると説きます。そして、地上人生で苦難や自己犠牲の奉仕に人生を捧げた人は、死後の世界で霊的褒賞と喜びに包まれると述べています。
私は自身の理性で判断してシルバーバーチの教えを信じています。まだまだ未熟で真理の体得が浅い私にとって因果律の法則は厳しい側面ばかりが迫ってきますが、これからも霊的奉仕と霊的成長を目指して歩んでいこうと思います。


『 抜粋 』
――キリスト教は多くの優れた人物を生み出しているのではないでしょうか。
そうした人物は、クリスチャンであろうとなかろうと立派な人間だったはずです。

――でも、イエスの教えに従おうと心がけることで立派になった人もいるのではないでしょうか。
地上人がナザレのイエスを本当に見習うようになったとき、新たな人類の歴史が始まることになります。現在は、まだそこまでには至っておりません。私にはその兆しが見えないのです。〝イエスの僕〟と公言しているにもかかわらず、実際にはイエスを裏切るような生活を送っている人たちのことを、私の前で〝クリスチャン〟と呼ばないでください。イエス自身、「私に向かって、主よ、主よ、と呼びかける者のすべてが天国に召されるわけではない。天にまします父の意思を実践した者だけが召されるのである」と言っているではありませんか。

――教義というものにあまりこだわらず、無欲で立派な人生を送っているクリスチャンも大勢いると思うのですが……。
そういう人はクリスチャンとしては立派とは言えないでしょう。言わばダメなクリスチャンですが、人間としては立派です。教義は必ず魂の足かせになるということを忘れないでください。教義を重んじることで立派になれるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。キリスト教では教義の名のもとに、殺し合いと火刑を行ってきました。魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、魂の自由な顕現を妨げるものは排除しなくてはなりません。

――ハンセン病患者の居住地へ支援のために赴く聖職者たちについて、どう理解したらよいのでしょうか。
彼らは教義に動かされて赴くのではありません。魂が「患者を助けたい」と望んでいるからです。宗教は教義を超えたものです。教義は宗教ではありません。   135ページ12行~137ページ8行

『 感想 』
既成宗教を熱心に信じていおられる人の中でも利他愛に溢れた素晴らしい人がいます。しかし、既存の宗教は形骸化した儀式を重んじ、理性を奪い思考停止させる教義に対して疑問を持つことを許しません。既成宗教の教えに心・魂を縛られた人間が死後の世界で悲惨な状況に陥っている事実をシルバーバーチは何度も述べています。
宗教と関係なく、どこにでも素晴らしい霊性(人間性を)具えた人がいるのは多くの人が実感していることではないかと思いますが、宗教組織の中に優れた人間性を備えた人がいるからその宗教が素晴らしいとはならないと思います。シルバーバーチは何を信じているかよりも何をしているかが大切だとも述べています。シルバーバーチの述べているように教義で人が動くのではなく、人を助けたいという思いが人間を動かすのだと思います。
霊的事実として高級霊界通信では神の存在を説いていますし、因果律の法則、死後存続の事実など、既存宗教とは事実という意味で次元が違いますが、やはり最後はそれぞれの理性と判断によって信じるか否かということになります。
シルバーバーチを始めとする高級霊界通信は霊的事実を確信をもって述べていますが、それさえもそれぞれの理性によって検証するように求めています。科学・道徳・政治・社会・哲学など考え得る全ての分野・視点で厳しく検証することを求めています。そういう姿勢は既成宗教にはないものだと思います。