5月の読書会です。今回は予定を変えて、読書会の時間を学習の場に変更しました。学んだ内容は、スピリチュアリズムの思想[Ⅱ]の中から「1.神について」の以下の部分から学びました。
1.神について ――スピリチュアリズムが明らかにした真実の神観 ↗
(1)常に神を求め続ける人間の霊的本性 ――真実の神の姿を知りたいという“魂の欲求” ↗
(2)時代とともに進化してきた神の概念 ――従来の神観の概観 ↗
(3)従来の神観の整理 ↗
(4)神認識に関するさまざまな見解と問題点 ↗
今回は神・宗教についての人類の歩みについて学びを深めました。人間は神の子供・分霊であり、全ての人間が深い意識では神を求めているのだと改めて確認しました。時代、宗教、宗派、国家、民族、人種に関係なく神は信仰者にとっての絶対者・絶対的存在なのだということを新ためて考えました。今回の資料では
人間にとって「神」は真実在であり究極的な拠りどころであると同時に、愛の源・霊的エネルギーの源
とあります。信仰者であろうと無神論者であろうと唯物主義者であろうと、人間にとって神は全ての根源だということ、それは紛れもない事実です。人間の本質は神の分霊(神の子供・分け御霊)です。神は究極の拠りどころ、愛の源・霊的エネルギ―の源ということから、改めて神と人間の絆を再確認することができました。
宗教において神は絶対的存在ですが、地上の宗教は事実とは異なる神、捻じ曲げられた神、空想にすぎない神、人工的に捏造された神を信仰してきました。純粋な信仰は人間の魂に深く刻まれ、地上人生を決定づけます。死後の世界・霊界においても大きな影響を及ぼします。霊的事実として、既存の宗教を信仰したことで死後の世界・霊界において幸せになった人間(霊)は一人もいません。100歩譲って地上世界だけを見ても、地球に存在する全ての宗教は宗教の役目を果たしてきたでしょうか?紛争の原因・要因になることはあっても紛争を未然に防いだり解決へと導くことができたでしょうか?地上の宗教は他の宗教・宗派・無宗教者・無神論者との間に壁を作り、家族・友人・国家・国民・人種・民族の間にも分断を生み出しました。宗教とは特定の民族・国家・人種・個人のものでしょうか?本来は親なる神のもとに、人類に真の融和と世界平和を実現するのが宗教の役割ではないでしょうか?私は霊的事実(霊的事実は物事の本質を示すものだと私は信じます。)に照らしたとき、地上の宗教は全て宗教としての役割を果たしていないのだと改めて思いました。
真実の神は唯一の神です。私はシルバーバーチの説く神の御姿こそが唯一真実の神の姿だと信じています。シルバーバーチは、全人類に内在する神の分霊、神から人間のみに与えられた神性、そして、その人間を守り霊的幸せへと導く神の愛と摂理(未熟な私たち地球人は摂理に反し、摂理の厳しい側面を感じさせられることが多々ありますが、その背後にあるのは神の究極の愛だと私は信じます。)、そうした親なる神と人間の関係、絶対に切れることのない神と人間の絆・人間同士の絆について明らかにしてくれました。私はその内容に絶対的な真実性を感じます。そして、信じています。私はスピリチュアリズムと出会い20年近くが経ちましたが、純粋な信仰の道を歩まれる方の信仰の尊さがほんの少しだけ理解できるようになったと思います。神への信仰は尊いものだからこそ、人々が真実の神のお姿を手にしてほしいと願わずにはいられません。信仰を押し付けるなど言語道断ですが、この場ですから私の思いを綴ります。既存の宗教に関わる方には是非ともご自身が信仰し人生を捧げてこられた宗教の教義とシルバーバーチの説く霊的真理・スピリチュアリズムを机に置き、どちらが事実・真実なのか今一度まっさらな気持ちで比較検討して頂きたいと心から願っています。
今回は、神を求める人間の本性、人間の知性や霊性の発達とともに進化してきた神の概念、神認識に関する様々な見解を学ぶことができました。宗教(神の概念)に関する人類の歩みの歴史を踏まえ、霊的な広い視野でとらえて学ぶ機会となりました。社会的・道徳的にも現在より未熟だった人類が、神による救いを手にするために、今では宗教と呼ばれる信仰を造りあげられたのだと思います。原始宗教から始まり、家族や特定の民族・国家などの幸福を願う狭い範囲の宗教や多神教が造り出され、国家や人種・民族の枠を超えた一神教へと進化したことが解りました。しかし、イスラム教・キリスト教という世界を代表する一神教も人類を幸福にするどころか、不幸に陥れています。紛争や分断の原因・要因になることはあっても、紛争や分断をやめさせ終止符を打つことができていません。既存の宗教が宗教としての役割を果たしていないことを改めて確認することができました。
神の認識に対して、私は、シルバーバーチの説く霊的真理に初めから真実性を感じていました。私は無宗教でしたが、神はいるという考えは子供のころからあったように思います。霊的真理には受け入れる時期があるとシルバーバーチも述べていますが、私はそうした時期に背後霊の導きによってシルバーバーチの霊訓と出会えたのだと信じています。なぜ信じたのか?と考えると私の理性と直観によるものだと言うしかありません。霊的事実として、肉体を携えた人間は神に対する認識・実感をリアルに感じたり持つことはできません。シルバーバーチもそうしたことは繰り返し述べています。地球の人間は霊的存在ですが、肉体を携えた地球の人間においては、究極の霊的存在である神に対し、理性による認識・実感は初めから限界があるということがよく解りました。だからと言って理性的検証と評価をないがしろにしてはいけません。人類にはこれまでに積みあげてきた社会的規範・道徳的観念などがあります。必要であればそうしたものをフルに活用し、それぞれがこれまでの人生で造り上げてきた価値基準なども総動員して宗教・信仰=神認識についての検証をしなければならないと思います。信仰とは理性を超えたもので、諸刃の剣ともいえます。宗教・神への信仰は人生を決定づけ、死後の人生までも大きく左右するものです。だからこそ宗教・信仰とは現実逃避のための安易なものであってはいけないのだと私は考えます。キリスト教でも信仰に理性を取り入れているとの記述がありましたが、教義を前提として理性を働かせるということは、厳しく言えばそれぞれに都合よく解釈したり、解釈を変更できる部分がでてくるのでは?と思います。それでは、信仰の本質からずれてしまうことになるのだと思います。スピリチュアリズム(シルバーバーチの説く霊的真理)では、理性による検証を重要視します。シルバーバーチは真実の神の御姿を説いていると私は信じています。しかし、シルバーバーチは自らが真実だと体験と実感をもって語る霊的真理・神の御姿に対しても、厳しい理性的検証を求め奨励しています。そうしたうえで、シルバーバーチは自らが語る霊的真理が、最後まで残る唯一の宗教・神の御姿なのだと精一杯の誠意を込めて述べていると私は思っています。
私は、科学と宗教の関係や歴史に関しては全くの無知でしたが、今回の学びを通して科学の歴史も宗教とは切り離せないこと、霊的事実として科学・生命学・物理などの学問も真摯に探究することで、最終的には真の実在(霊的真理)に行きつくのだと思いました。学生時代に、社会人としては先輩の学友の方と話していたことを思い出します。物質は原子でできているが、原子は原子核と電子からなる、原子核は陽子と中性子で構成されていて詰まるところその本質はエネルギーの塊だと、先輩に「物質の本質はエネルギーの塊?不思議ですよね」と話して先輩も「ほんまやなぁ」と休憩時間にお茶をしながら話したことがありました。当時は、霊的真理を知りませんでしたが、今なら物質の世界は有限で真の実在は霊的なものなのだということが解ります。
宗教と化学は融合していた時代と分断していた時代があるということ、近代科学の発達により唯物主義が力を持ち、宗教・神の存在が否定された時期があるということ、しかし、最新の物理学・生命科学によって神の存在が暗示されるようになったということ、科学・物理学と宗教・神との関係を歴史をたどって理解することができました。人類自らの探究によって真の実在(霊的真理)に行きつくのだと改めて確認することができました。
科学・物理の分野と宗教の歴史という壮大な内容を、霊的視点から解りやすくまとめられた普及会の働きに心から有難く思っています。資料を通してとても有意義な学びの時間とすることができました。全ての感謝を神にお捧げします。
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